その手に宿す情熱と技「うんだもしたん里芋じゃ」

お菓子のかたおか 片岡昭一さん

地域ブランド『薩摩のさつま』の認証品を生み出す作り手の方を訪問し、商品が生まれた背景や風土をお届けするシリーズ。
今回お話を伺ったのは、『うんだもしたん里芋じゃ』をつくるお菓子のかたおかの代表 片岡昭一さんです。

親芋の活用のため、何度も試行錯誤をして生まれた『うんだもしたん里芋じゃ』。
お召し上がりいただく方を想い、細部まで丁寧にこだわるお菓子づくりの先にある想いやその背景とは・・・。

※インタビューは昭一さんを中心にお話をお伺いしていますが、一部で奥さまの利美さんにもお話をお伺いしました。

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聞き手:田口(以下省略)

――昭和29年(1954年)創業ということで、お店を先代のお父さんから受け継いで、今年で71年目になるんですよね。ご出身は旧鶴田町(さつま町は平成17年に宮之城町、鶴田町、薩摩町が合併)で、高校生までいらっしゃったとお聞きしましたが、その後はどちらにいらっしゃったんですか?

そのあとは東京にある「日本菓子専門学校」に行きました。
その当時、日本に菓子専門学校というのは2校しかなかったんです。
2年間通って、製菓衛生士の資格を取りました。

高校卒業後すぐにお菓子の道に進まれたとのことですが、
やはりお父さんのお店を引き継ごうという意識があられたのですか?

本当は大学へ行くつもりだったんですよ。
でも二人兄弟で私が長男というのもあり、家業の継続というのが、どこか自分の中で引っかかっていました。
公務員への就職も考えていましたが、お菓子の勉強することはいいことだと思って、専門学校でお菓子の勉強をすることにしました。

当時、父は20年程お店を営んでいたので、私の代で終わらせてしまうのも気がかりで。
学校卒業後は、横浜の老舗和菓子店に就職しました。

どんなお店だったんですか?

最中の有名なところお店です。
洋菓子もあるお店なのですが、和菓子を専門として働かせていただきました。

餡子というのは煮出しをするんですよ。それで濾過して残った餡子を絞って、砂糖と混ぜて練ったものが、こしあんになるわけです。
つぶあんというものは、粒のままで練ったものをつぶしあんという。
そういう餡子づくりを一からするお店だったものですから、餡子についてはかなり勉強させていただきました。

お菓子作りの実践的なところを現場で学んでいかれたのですね。

そうですね。今もお店は横浜にあって、連絡をいただくこともあります。今も繋がりがあるのはありがたいことですよ。
自分の子どもも、私が修行したところに興味があったみたいで、横浜のお店を訪れたみたいです。

嬉しいですね。

嬉しいですよね。
後継ぎのことはわかりませんが、いつでも帰ってきてもいい状態にはしたいと思います。
でも、子どもは子どもの人生がありますからね。
ただお菓子の配合とかマニュアルは、自分で作りたいなと思っています。
今はYouTubeやネットでお菓子づくりをある程度学べる時代ですが、気温や湿度の変化や、細かい配合などはわかりませんからね。

片岡さんならではのあんこの味もありそうです。

味もですし、今の時期の餡子の練り方も違いますし、型菓子(落雁)等、特に湿度があると、固まったり、固まらなかったりしますから。
僕も20歳、21歳の頃はわからなかったんですよ。
40年つくり続けて、ようやく分かるようになりました。

専門学校での学びを経られた卒業後、なぜご実家のお菓子店ではなく横浜に行かれたのでしょうか?

専門学校の中に横浜のお店とつながりのある有名な先生がいたんですよ。
その先生からヘッドハッティングされて。
今も連絡を取り合っているので、お店とご縁があったんだなと感じています。

そこでは学校とは違い、継続して品物をつくれたので、同じ品物をつくり続ける技術を習得できましたね。

僕の餡子って、グラム数を決めているんですよ。
お店によっては、手加減でおおよそのグラム数を測っているところもあるんです。

でも僕は、例えば28gだったら、28gはミリ単位まで変えません。
同じ値段で買ってくださるお客さんがいるわけだから、仕上がったものが同じものじゃないとダメだと思うわけです。
そんな細かな部分にこだわっているから、お店を受け継いで40年経った今でも潰れないのかなと思っています。

そんな細かいところまで、お客さまのためにこだわられているんですね。
一方で、同じものを作り続けるために、天気とか湿度とか日々変化するものの方が多いわけじゃないですか。
そこで片岡さんの感覚も含めて調整しながら、お客さんがいつ来ても懐かしい味を保てるようにされているということなのでしょうか?

そうです。多分、農業も同じだと思うんですよ。
握り方のひとつでも変わってきますからね。

日々の変化をちゃんとキャッチしながら、いつも同じペース配分でやるっていうのはすごく大変なことなんじゃないかと思いますが。。。

疲れますよ。
同じことを毎日ずっと40年間続けていくのは。
でもお客さんが、まだまだ足を運んでくださるわけですから続けられますね。

地道にお菓子に向き合う姿勢が、今年で71年目になるお店の継続に繋がっているわけですね。

僕の品物は僕の分身だと思ってるから。
だって砂糖と粉と卵や餡子があっても、うちのお菓子をつくれるのは、この手しかないですもんね。

他の人に同じ材料を渡してもつくれないわけです。
そこにはやっぱりその人それぞれの技術があるわけですよ。

この手がつくるって表現、素敵です。
先代のお父さんからそう教わったんですか?

素敵だなんて、そんなことはないと思いますよ。
ただ、親の後ろ姿は見てきたかな。
親の姿見てないと、ここまでの努力はしてないもんね。

僕ね、昔は野球をしてて、1日もサボったことないんですよ。
昔からいろんなことに対して手を抜かずにやってきました。

手を絶対に抜かないという姿勢、すごくかっこいいです。
お菓子をたくさん作られて、片岡さんのお店は特にお菓子の種類がすごく多いなと思っているのですが、それらはお父さんの時代からずっとあるものが多いんですか?

いや、そんなことないですよ。
引き継いでから増えてきました。
僕は、第一が断らない人間だから、お客さんにリクエストされて作ったものもありますね。
里芋じゃ(うんだもしたん里芋じゃ)は、当時の町役場から「里芋の親芋を使ったお菓子を作りませんか?」って打診を受けて作ったものなんです。

当時、町内のお菓子屋さんすべてに打診されたみたいですが、なかなか難しくてね。
普段使いきれない親芋の活用依頼だったので、なんとかしてやろうと思ってね。
ちゃんと商品化してラベルを貼って販売するまでは、5年はかかったんですけどね。

里芋の親芋自体は、地域によっては食べられたりしますが、親芋のお菓子というのは正直驚きでした。
調べてみたら「親芋の調理自体は簡単ではない」という記事を見たことがあります。
お菓子に転用するのは難しくはなかったんでしょうか?

そうですね、僕は砂糖と白餡子があれば留まると思ったんですよ。
でもでんぷんだから、余計水分を吸ってしまって、固まってしまうんですよね。
だから、最初は砂糖を入れる加減が難しかったです。柔らかくしすぎれば、手で包みにくいんですよね。
そこの加減を知るのに2、3年はかかりましたね。

当時の町役場から親芋の活用依頼で持って来られたのは、親芋本体ではなく粉末状になったものや、ペースト状になった加工品でした。加工されたら、どんな配分でつくられたものなのかわからなかったうえに、畑で採れたものなのか、田んぼで採れたものなのかによっても具合が違うんです。
水田で採れたものは、どうしても水分量が多かったりして。

そうすると、その後、いわゆる練った時の様子がだいぶ変わってくるんですか?

変わるんですよ。
まず、まとまらないものですから。
だらけてくるんです。
やはり、品物をつくるのに原材料の本質を知るのは大事ですね。
当時、たまたま物産館に行ったら親芋が出てて、何個か買ってきて蒸したら美味しかったので、今では、その親芋を里芋農家さんから直接仕入れています。

里芋のお菓子ができるまで、そのような道のりがあられたんですね。

たくさん裏濾ししてみたり、今のお菓子のようなおまんじゅうではなく、羊羹にしてみたり。
でも羊羹にしてみると、繊維が入って舌触りがよくなかったり。
何回も試行錯誤の末、とても良い親と出会えたので、やっと形になりました。

形は親芋なのでまん丸にして、
里芋は土の中で育つものなのでシナモンかけて焼いて、今の色になったんですよ。

里芋が土の中で育つイメージやで、今の見た目や色を表現しているんですね。
シナモンと餡子との相性がとてもおしゃれだと思いました。

そうですね。創作菓子なので、イメージが大事ですよね。
ココアだと洋風になるし、和菓子なのでシナモンにしました。

どら焼きにしても、黒糖の餡子にはアクセントで黒糖の塊を切って中に入れたり、白餡はさつま町と鶴田町(さつま町と友好都市の青森県鶴田町)のツルの架け橋があり、なんとか青森県産のリンゴを入れようというこだわりがあります。

ちょっと手間だけどね。僕はこうなんですよ。
こういう人間、しつこい人間、ある意味くどい人間。(笑)

それだけ突き詰めて、こだわりを持ったお菓子作りは、並大抵の想いではできないように思います。里芋じゃの形から色から味、原材料の背景を知ったことで、今後里芋じゃを味わう時の深みが全く違ってくると思います。

―(利美さん)

里芋じゃをつくれるのも、今仕入れをさせていただいている里芋農家さんがいらっしゃるからなんですよね。いい土を使っているところの畑では、いいものはできる。
栄養分を入れたりして、土の改善をしてくださるからとってもありがたいんですよね。

結局、原材料の親芋も何でもいいわけじゃなくて、どんな方がつくっていて、どういう環境で育った、どういうものなのかが分からないと、今の里芋じゃはつくれないわけですよね。

―(利美さん)
そうですね。使う親芋にもこだわりがあります。
タイミングよく、今の親芋をつくられている方に出会えたからよかったです。

里芋じゃの滑らかで舌触りのいい親芋の餡子は、横浜時代の餡子の下積み時代から、試行錯誤、そして親芋との出会いがあって生まれたものだったんですね。
これまで以上にいろんな方に味わっていただきたいです。

こだわった味だから、この味のまま、お客さんに食べてほしいですね。
様々な好みがあると思いますが、「僕の味はこれですから」って。
「これで食べてください」って言うのが好きなんです。

ー(利美さん)
この人の餡子は、あっさりした甘さだってお客さんが言ってくださる。
保存や柔らかくするために砂糖は使うけど、ほんとミリ単位までこだわるよね。
私が測っても、もう一回測らされますもんね。(笑)

それが、お店が長く愛される所以なのかもしれませんね。

ー(利美さん)
おかげさまで、里芋じゃとか、どらやき(認証品の「さつまるちゃんどらやき」)とかお店の商品として根付いてきてる気がしますね。里芋じゃに関しては、町外からのお客さまが多いかな。
この前も、隣町から買いに来られて、「美味しいです」と言ってくださる。
そういうお客様と会話のキャッチボールが楽しいです。

お菓子のかたおかさんにお菓子を買いに行くと、必ず利美さんはお客さまと話されている印象があります。

僕は品物。妻はしゃべり担当。(笑)

すごくいいバランス。素敵です。(笑)

あとは妻のInstagram発信力。
でもね、限られた命だからどこまでいけるかだよ。

どこまでいきたいとかあるんですか。

あるよ。
母親が75でなくなっているので、それからあと5年は頑張って80まではいきたいかなと思っていたんです。
でもこの間テレビで83歳でどらやきつくりをしている人を見かけたんですよ、それを知ったら僕は85まで頑張っていこうかなと思って。
一種類でもいいから、今あるお菓子を作り続けたいと思いますね。

でもね、本当にいいですよ。
体が萎えなければずっとできる仕事だから。
生きがいになります。

ずっとこの味を食べ続けられたら私たちも嬉しいです。

片岡さんの将来に対する想いとともに、
薩摩のさつまも次世代支援を通じて、さつま町の未来に向けた取り組みを行っています。その”未来”という今後に対して、さつま町や子どもたち、その他のことでも結構ですが”想い”などありましたらお聞きしたいです。

僕は、いつも思うのは五感があればいいと思う。
見て(視て)、嗅いで、味わって、感じて、聞いて、
この感覚は、今の子どもたちは少なくなっているんじゃないかなと思うよ。
目の前の画面ばかり見ていても目が悪くなるだけでしょう。
それよかもっと大事なものがあるんじゃないかなと思ってね。

何でも接触してみないとわからないからね。.
情報だけを一方的に聞いて、それだけ判断してしまう世の中になってしまうかなと思う。

体験が身近にないってことなんですね。

五感を養うためにも、何でも子どもたちにはトライしてほしいなと思うんですよね。
間違ってもいいしさ、怪我してもいいしさ、怪我してみないと分からないこともあるもんね。

子どもたちに限らず今の大人も含めて、いろんなことに自分の五感を養うためにもチャレンジすることが大事だと思います。

この頃思うことがあったんですよ、勉強するってどういうことなのか。
判断力を養うためにあるんですね。
学校に行くためじゃない。

その時に情報としての判断もそうですし、感覚的なものでもやっぱり判断が必要だと思うんですよね。

だから判断力を養うために勉強する。
失敗するから勉強する。
失敗するのも勉強ですもんね。

学問だけが勉強じゃないというか。

僕は大学出てないからそういう知識はないんだけど、社会が教えてくれたもんだから、

感覚は私もすごく大事だと思うのですが、感覚を養うために何があったらいいと思いますか?

感覚を養うには、話すことから始まりますよね。
「この人誰かな」って思っても、自分がまず話さないと相手は話してくれないですよね。
ただ、名刺交換だけであの人がどんな人かわかるわけないですから。
まずお話しすることから始まると思います。
人間、顔や肩書だけでわからないものです。

なんかすごい、いわゆる小難しく何か考えるとかじゃなくて、まず話しをして、違う考え方の人同士が交流することも大事なんですね。

それがスタートだと思います。

何か物事を始めるときに、「失敗したらいけないな。」ってみんな遠慮するんですよね。
自分が失敗したらいけないなと思うからよくないんですよね。

そういう意味では、何かやっぱりいろんな人と人とが、交流できる、おしゃべりできる場面があると、まちとしても感覚が養われていくような気がしますね。

たぶん、そこで合わない人もいると思いますよ。
そこから引いたり押したりするところがあるのが人生だから。

僕なんかも、たくさん失敗してますし、恥もかいたりしました。
テレビも沢山出ていろいろな失敗してるけど、でもテレビに出たことによってプラスが多かったと思っています。

片岡さんが片岡さんである由縁みたいなところがすごい、今日のインタビューでお伺いできて嬉しかったです。

しゃべらないと分からないからね、恥かいても喋るよ。(笑)
思ってることは何でも言おう、聞こうって思う。

お店を引き継ぐ話から、将来のことまでお伺いさせていただき貴重な時間となりました。
本日もお時間ありがとうございました。

こちらこそ、ありがとうございました。

※取材/撮影:田口 佳那子(さつま町地域プロジェクトディレクター)

薩摩のさつまロゴ認証品のご紹介

うんだもしたん里芋じゃ

うんだもしたん里芋じゃ

昭和29年創業の田舎の菓子屋です。先代から引き継いだ後も地元の銘菓の商品開発に務めてきました。町農政課より普段使いされない里芋の親芋の活用依頼があり、試行錯誤の末、里芋饅頭として商品化出来ました。

一.地産地消にこだわり、町内の農家さんに出会えた事と妥協する事なく里芋の皮を丁寧にむき、蒸して何回も裏漉しして里芋餡に仕上げます。

二.里芋の風味を損なう事なく練上げた餡は甘さ控えめな優しい味。丸くコロコロとした里芋のイメージに形成し畑の土を模して桂皮粉末をまぶして焼き上げました。

三.あらまぁ、里芋だわ…の意味から、鹿児島弁で『うんだもしたん里芋じゃ』と名付け、ネーミングの面白さもあり商品を介してお客様との会話も弾みます。
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