繋がりの軌跡『パワー味噌』

地域ブランド『薩摩のさつま』の認証品を生み出す作り手の方を訪問し、商品が生まれた背景や風土をお届けするシリーズ。
今回お話を伺ったのは、『パワー味噌』をつくるさつまの味の代表 堂園幹子さんです。
人との繋がりを大切に、探究と試行錯誤の努力が生んだ『パワー味噌』。
食べる人への想いを込め丁寧につくられる、味噌づくりの先にある想いやその背景とは・・・。

聞き手:田口(以下省略)
――さつまの味さんはいつ頃から始められたんでしょうか?
2020年の10月ですね。町内の中津川地区にある薩摩農産物加工センターを拠点に、今は最高齢79歳、最年少30歳の10人グループで活動しています。
さつまの味を設立したのは幹子さんなんですか?
さつまの味の前身は、加工センターで活動していた食品加工のグループ「観音滝加工グループ」を私が引き継いだ形として始まりました。
観音滝加工グループっていわゆる地元のお母さん方の味噌づくりのグループってことですよね。
そうですね。
味噌だけではなく、加工品を作られていいましたね。
豚味噌とか焼き肉のたれとかめんつゆとか。
私はそこの加工グループのお味噌が大好きで、中津川の友人の誘いもあり、2013年頃から自分で食べる味噌を作りに行っていました。
1年に1回1人50㎏ずつ作って、自宅で50㎏食べるんですけど、加工グループでの味噌づくりは1回に240~250㎏をつくるのでかなり重労働なんです。
そうしたら、ある日、グループのメンバーの高齢化もあって、加工グループを閉める話になったんです。
そこで、「私が手伝いに行くからグループを閉めなくていいよ」って言って手伝うようになりました。

そうしたら、手伝いに行ってからしばらくして突然「今日からあなたが味噌をつくるのよ」と言われ、引き継ぐことになりました。
右も左も分からないままでしたが、私はこのお味噌でないと困るという気持ちが強かったので、引き継ぐ決心ができたんですよ。
それからは、観音滝加工グループにいたおばあちゃんたちが、4名も手伝いのために残ってくださいました。
一番高齢だったのは、84歳の方だったんですよ。
今もいらっしゃるんですか?
1人辞められて、あと3人は今も手伝ってくださっていますね。
今は10人のグループで活動されていると伺いましたが、引き継ぐ時から仲間集めはされていたんですか?
そうですね。ちょっとずつちょっとずつ広がってきました。
大型機械がたくさんあるので、男性もいていただけるのは助かりますね。
以前、撮影に伺った際に大きな機械があったので驚きました。
一人でやるのは大変だと思ったのと、作業場がすごく暑くて、皆さん汗かきながら作業されてらっしゃいましたよね。
蒸し物しているから夏はすっごく暑いし、冬はすっごく寒いんですよ。
昨年の夏は、熱中症で倒れてしまうんじゃないかって思いました。

それだけ環境の影響を受けやすい場所なわけじゃないですか。
やっぱり味噌づくりにも影響ありますか?
暑い時は結構温度が上がるのでいいのですが、寒い時は温度が上がらないから発酵が進みづらいんです。
だから、暑くても寒くても機械の調整をしながら温度を一定の基準まで上げないといけないですが、温暖化の影響もあって、温度調整ってちょっと難しくなってきてるんですよね。
それじゃあ、経験の勘も大事になってくるわけですか。
そうですね。あと勉強ですね。
機械の温度調整も大事なので、お世話になっている麹やさんに、分からないことは教えていただいています。

観音滝加工グループで味噌づくりをする前には、実家でお母さんと味噌づくりをしていたのですが、麦味噌だったので甘くするために米麴を入れていたんですよ。
だから今も麦麹と米麹と2種類入ったものをつくっています。
認証品のパワー味噌に入っているのは、もち麦なのでまた味わいが違います。
今もたくさんの種類の味噌を作っていますよ。
スーパーでさつまの味さんの味噌が何種類も並んでいるのを見たことがあります!
認証品のパワー味噌も以前から作られていたものなのでしょうか?
観音滝加工グループから味噌づくりを引き継いだ後につくり始めました。
パワー味噌は認証品もつくられている山崎農場さん(さつま町のお米農家)が「もち麦があるから、もち麦で味噌を作ってみませんか」って持って来られたんですよ。
その一言が、パワー味噌づくりのきっかけだったんですね。
そうなんです。
ただ、もち麦を使っての味噌づくりは初めてだったんですよ。
普通の麦とどう違うのかわからなくて、お世話になっている麹やさんの研究室でもち麦の特性などを調べていただきました。
それから教えていただいた特性をもとに、もち麦を使った味噌づくりを始めたんです。
もち麦での味噌づくり自体、県内では初めてのことだったので手探り状態でした。
特性とおっしゃいますが、普通の麦とは異なる特徴的な違いがあったんですか?
もち麦は水を吸収するのが早いので、長く水に浸したらダメでした。
もち麦に含まれている水溶性食物繊維のβグルカンが流れてしまうんです。
それと、もち麦はもち性なので、すごくもちもちとした弾力があります。
味噌として発酵することでさらに栄養価が高まるので腸活にもいいですね。

もち麦ならではの特性すごいですね!
ただその分、水に浸す時間配分に苦労されたのではと思いました。
パワー味噌をつくる過程で何度も試作されたのではないですか?
蒸した時点で麹を混ぜるときに、もち麦が手にベタベタくっついてきたんです。
ただ、慣れてくると分かってくるので、改良を重ねてだいぶ味が落ち着いてきたと思います。

改良を重ねる努力に、1回に250㎏前後の味噌をつくる体力仕事。。
私たちが普段簡単に手に取れる背景には、みなさんの多大なる努力があったんですね。
もち麦は血糖値を緩やかに上げてくれるんで、糖が高い人たちにとっても良いですよ。
食物繊維も豊富なので便秘の人にも良くて、うちの近所にも「便秘に効くからこれがいい」って言ってくださる人もいます(笑)
肌もツヤツヤになるし、ビタミンも、ミネラル成分もたくさんあるから、いろんな人に食べてほしいですね。
もち麦の本来持っている成分を発酵がより高めてる。
お話を聞くと、より一層発酵食品への意識が向きますね!

これまで薩摩のさつまの販売会でもたくさん試食のバリエーションをご用意いただいてきましたが、パワー味噌はどんな食べ方がおすすめですか?
私は味噌汁が一番。
その次は簡単に茶節ですね。
山太郎カニ(夏から秋に旬を迎えるモクズガニの別名)を味噌で溶いて鍋で食べるのも美味しいですよ。
そのままの味噌炒めもいいですよ。
幅広く、さまざまな料理で使えるんですね!想像してよだれが出てきてしまいます。
全世代に美味しく食べていただけますね。

もち麦を使ったパワー味噌の魅力がたっぷり伝わってきました。
さつまの味さんは商品がたくさんある中で、パワー味噌を認証品として出された決め手は何だったのでしょうか?
もち麦をつかった味噌が希少で、どこにでもあるものじゃないということが大きいですね。
農業大学校で行われる研修でも、もち麦を使うパワー味噌が研究対象に取り上げられたんです。その結果、今は県内の別の事業所ももち麦で味噌をつくられるようになりました。
とういことは、パワー味噌は、県内第1号のもち麦味噌なんですね!
そうなんですよ!
それにもち麦自体、国内での栽培は少ない中、山崎農場さんのもち麦の生育を自分も見れることが心強いです。安心安全な食材ですね。
山崎農場さんはもち麦の精麦にゆっくりゆっくり時間をかけて精麦するみたいで、手間ひまかけて作られているんです。
※精麦:外皮をむいて加工していく作業
ゆっくり精麦することで食べれるもち麦になります。殻がついたまま販売しているところもあるようですよ。
原材料からのこだわりを深く感じます。
山崎農場さんの話といい、観音滝加工グループさんの話といい、幹子さん自身、人との関わりが密だから、パワー味噌が生まれたんですね。
人との繋がりを大事にされる幹子さんを中心に、パワー味噌がつくられる事実に感動します。

人と人の繋がりというと、薩摩のさつまにも「おとなりさんのソムリエ」という「褒め合い・支え合い・地域愛」の輪があります。
薩摩のさつまの一員となってみられて、何か変化などありましたでしょうか?
薩摩のさつまのブランドはすごく良いなと思います。
例えば、同じ認証品を作られている山下製菓さんの飴自体は知っていたけど、どんな想いでつくっていたのかが見えてきたのですごくありがたいなぁと思いました。それに、町で見かけて声をかけられるようになったんです。
顔もつながるし、どこの誰か分からないことがなくなりました。
町内のつくり手同士の距離感が近くなったんですね。
松木囿さん(松金農園代表)のアスパラガスをいつも買っていたけど、ブランドの一員になって「この人が松木囿さんなんだ」って初めて知ることができた。
人を知って、その人がどんな気持ちでものづくりをされているかを知ることができたので、さつま町の逸品を迷わず勧められるようになりました。
まさにこれがお隣さんのソムリエですね。
薩摩のさつまがあってから横のつながりが密になったんですよ。
自分で話を聞いてみて「これば間違いない」と思えるようになったり、もっといろんなものづくりに目を向けられるようになったのは大きな変化です。
ブランド認証が幹子さん自身に良い変化をもたらしたんですね。
そんなお話を伺えてとても嬉しいです。

薩摩のさつまブランドが、これからのさつま町にとっても良い変化をもたらせるよう、皆で一丸となっていきたいところですが、そこになぞらえて、幹子さんのさつま町の今後の”未来”に対して、さつま町や子どもたち、その他のことでも結構ですが”想い”などありましたらお聞きしたいです。
やっぱりね、子どもが増えて子どもの声がいっぱいするような町になってほしいです。
今、薩摩のさつまの地域ブランドが一つになって、みんなで支え合ってきているので、その子育ての応援をまたみんなでやりたいなって、全国的にも人口が減る中、さつま町は増えていく町になってほしいなと思います。
私が子育て期に、佐志地区では「親父の会」といって、週休2日になったお父さんたちが月に1回、佐志小学校の子どもたちと遊ぶ会が立ち上がったんですよ。
親父の会というネーミングから素敵なのですが、どんなことをして遊んでいらっしゃったんですか?
5月はあく巻きづくり、6月はどろんこあそび、7月は夏は夏祭りのためにみんなで灯篭をつくって、8月は夏祭りで手踊りをしました。9月魚釣り、10月稲刈り、11月山芋掘り、12月はしめ縄づくりをして、1月はポン菓子を地域の方につくってもらって、2月は竹とんぼづくりもして、3月に卒業という1年間です。
毎月のことを記憶されているほどに濃かったんですね。
それに、親父の会は地域とお父さんに接点ができるいい機会ですね。
今は「きらめきの会」と名前を変えて、お米作りから収穫までみんなで体験できる機会になっています。
採れたお米は佐志地区の産業祭で販売もするんですよ。
今、体験しようと思ってもなかなか簡単にできることではないですよね。
幹子さん自身の原体験があるからこその「子育てを地域みんなで応援したい」という気持ちがとても伝わってきました。
本日は貴重なお時間ありがとうございました。
いえいえ。こちらこそ、ありがとうございました。
※取材/撮影:田口 佳那子(さつま町地域プロジェクトディレクター)