焼酎甕が紡ぐ『さつま日乃出みそ』
はじめに
地域ブランド『薩摩のさつま』の認証品を生み出す作り手の方を訪問し、商品が生まれた背景や風土をお届けするシリーズ。
今回お話を伺ったのは、『さつま日乃出みそ』をつくるさつま食品の杉元 節子さんです。
50年前までつくられた幻の焼酎『日乃出』の甕を使い、お義母さんの代からつくられてきた『さつま日乃出みそ』。鹿児島で古くから愛される、麦味噌づくりを続ける先にある想いやその背景とは…。
聞き手:田口(以下省略)
――さつま食品さんの事業の全体像をお伺いできればなと思っておりまして、
お味噌作りはお義母さんの代から始められて、その後に継がれたことになるんですか?
そうですね。自分でも味噌づくりをやろうと思ったのが3、4年前になるのかな。
私が結婚して杉元家に嫁いだときにお義母さんがすでに味噌づくりをされていたのですけど、今も使っているこの工場は「昔はたけのこの加工場だったよ」って言われて。
もう、たけのこの時期になる2~4月は殺人的な忙しさだったらしいですね。
私はノータッチだから分からないんですけど。
結婚して1年目くらいのときにちらっと見たかな。
お義父さんはお義母さんが45~6歳のときに52歳で亡くなってるんですけど、轟原(さつま町の地名)に日乃出焼酎という醸造元もやっていて、ここのたけのこ加工場と合わせて2つをされていたんですよ。
どちらも季節物じゃないですか。
焼酎の仕込みって冬ですよね。それが明けるとたけのこの加工場になってたわけです。
――じゃあ、1年の中でたけのこと、焼酎と。
そうそう。お義父さんは、焼酎の醸造元を継いだけど、自分でたけのこ加工場も起こしたっていう感じだと思います
ただ、私が結婚して、1~2年のうちに辞められたんじゃないかな。
――お義父さんが亡くなられてから、味噌づくりに使われている甕を日乃出焼酎から持って来られたんですか?
たぶん、持ってきたんじゃないかなと思うけど、もうお義母さんもいつ頃掘り出してきたか覚えてないみたいだし。
お義母さんが味噌をつくり始めた最初の頃は甕仕込みの味噌ではなかったんだと思います。
最初の頃もこっちに甕を持ってきてはいたと思うんですけど、お義父さんが亡くなられたことで、本格的に甕をつかった味噌づくりをしようと思われたんじゃないかな。どちらにしても、蔵元から甕を掘り出さないといけないし。(焼酎の仕込みでは、甕が口部分までを地中に埋めて使用しているため)
だから、もろ蓋も焼酎仕込みのときのものを使っていただろうし、使い続ける中で使えなくなったのは新しくまた作ったり。ちょっと大きめのが良いとかもあれば、大きいものを作られたりとか。
まだ、その当時に持ってきたもので、使ってないものもいっぱいあるんですよ。
――味噌作りって焼酎甕でつくるものだと思っていなかったから驚きです。
私も思ってなかった(笑)
――お味噌をいただいたとき、すごく美味しくて。
杉元さんが日乃出味噌に対してこういう思いを持ってつくられているとか、みんなにこういう風に食べてほしいっていう何か思いなどあるんですか?
素朴に食べてもらえば嬉しいです
お料理の上手な人はいろんな使い方されるかもしれないけど。
麹菌が息づいた工場や設備に道具類、もろ蓋が木だったりとか、蒸し器が木だったりとか、焼酎甕だったりとか、そういうのが合わさって味噌の旨味につながっているのかなと思っています。
だから、もろ蓋が麹で汗かいたりしても、木製のものとプラスチック製のものとではやっぱり違いますよ。
こう…(材料の)麦さんの状態がやっぱりちょっと違ってくるのかなって。
本当にもう、味噌のための、味噌づくりのためだけのお部屋だからこそできることなのかもしれません。
――でも、その唯一無二の環境とか、この設備があるからこそってのもあるとは思うんですが、私この前見学させていただいて、手際や手つきを見て、これはすごい職人技だと思ったんですよ。
職人技なんかじゃない(笑)作業単なる作業、単純作業。
スポーツ、スポーツ、味噌作りはスポーツと一緒(笑)。
――工程などをお義母さんから細かく教えてもらったりはされたんですか?
いやいや、全然。
ただ、麦に麹菌を混ぜるとき、「擦り込んで傷をつけて麹菌を擦り込むんだよ」っていうのは言われたので、力を入れてグーグーグーって押すみたいにコロコロって転がして、麦に傷がつくようにしてはいますけど。
ただ、一番分からなかったのは、麹の管理、室(むろ)に入れてからの温度管理です。
どのタイミングで温度を上げるのか、どのタイミングで扉を開けて空気を解放して涼しくしてやるのとか、そういうのが全然最初わかってなくて、お義母さんは感覚的にされていたのだけど、それを見てても私にはわからないから、室に温度計を付けて感覚的なものを目で見て管理できるようにしたんです。
――麹菌も生き物ですから管理が大変ですね。
そうそう。「室の温度が30度超えないと自分から(発酵が)ワーッていかないんだな、この子たちは」とか。25、6度だとジクジクしてて、なかなか発酵が進まなかったり。
だから、夏場は大変。
夏場は熱とか入れずに閉めてても自分でワーッてくるので、「そんな早く上がらなくて(発酵しなくて)いいよ」って感じで、室を開けておいてあげるとか。
だから扇風機を朝からずっとつけっぱなしのときもあるし、とにかく西日で部屋が暑くなるときもあるし、気候とか季節とか自然の状態に寄り添った管理なので。
本当は2日目の夕方に麹を落としたい(発酵を止めたい)んだけど、まだちょっと半分ぐらいしか発酵が来てないと思ったら、3日目の朝まで待ちます。
冷たいままの子もいるしと、場所や向きも変えて手入れしてあげるんだけど、それでも来ない子もいたりして。冬はやっぱ寒いときはなかなか来てくれない。熟成がなかなか進まないから。
――麦に麹菌を混ぜて発酵を促すのと並行して、大豆も蒸して加工するのですね?
大豆も麦を同じように蒸してから、冷めきる前のホカホカの状態でミンチにして、塩を馴染ませるんです。ただ、塩をした段階でもまだホカホカだから、扇風機あててある程度温度を下げてから置いておきます。
それで、3日目のうちには麦と混ぜ合わせるんだけど、それの間に塩が大豆に馴染んで、混ぜ合わせた直後は小粒で大豆のミンチの周りに塩がキラキラとついてるけど、置いておくことでじわーって中に染み込んでいくんです。
――そこを見極めるのもすごく大変そう。
この前見学させていただいた時に、蒸したばかりの麦に種麹を撒いた後とかも、手を入れて温度を測ってらっしゃいましたよね?
お母さんもいつもこう突っ込んで「もうよかろうかいな」って言ってたから、「どんぐらいですか」って私も突っ込んでみて、「あ、こんぐらいがいいんだ」って。
――手袋ごしでも私なら絶対火傷しちゃうと思います(笑)
味噌づくりは大変だって聞いていましたが、想像以上に大変なんですね。
たぶんこの読者の方々って、全く味噌作りとかを知らないと思うので、そこもちょっとお話しいただいてもいいですか?
3日間に渡って味噌づくりをされていると伺いましたが、この前見学させていただいた時は味噌づくりの初日でしたが、初日は基本的に、前日の晩に大豆や麦を洗われて水につけているんですか?
前日の夜に麦を洗って水を切っておくんですけど、翌朝5時に再び水を入れます。
これと同時進行で、大豆も洗っておくのですが、大豆は蒸すまでずっと水につけっぱなしです。
麦は2時間水に浸けてから蒸し始める。
大豆は蒸すのに時間がかかるので、麦を蒸して作業をしている合間に大豆を蒸し続ける感じですね。
ただ、冬場のように気温が低い日は蒸し上がる時間が変わるので、その日の気温や季節によって調整しています。
そして大豆は初日にミンチにして塩をして置いておくだけ。
で、麦が当日蒸し上がったら麹菌をまぶしてきれいにまぶして室に入れていく。
あとは温度管理です。
その日から温度管理しないと、入れた段階で昼ぐらいに発酵が来てしまうから、やっぱり夕方とかに様子を見ないといけないんです。
温度を上げてあげるかはまたその夕方の段階で決める。それが夏と冬でも違ってくるんですね。
で、管理して次の日の朝、2日目に、麹の手入れになる。
――麹の手入れっていうのは?
室に入っているもろ蓋の麦をひっくり返すんですよ。
その段階でちょっと固まってきてるんで、それをほぐしながらひっくり返してで、向きを変えて段を変えて、こっち側をあっち、あっち側をこっちって、入れ替えしてあげる。室の中で均等になるように。
それが2日目。
――2日目はさっきおっしゃったみたいに自然に近い環境で管理されてるんですね。
「管理」って一言でおっしゃいますけど、季節とかによってかなり細かく、様子を見ながらまんべんなく手をかけているんですね。
そうそう、均等に来るようにしてあげる。
――ちなみに「来る」っておっしゃるのは、どういう状態なんですか。
麹が来るっていうのは、手を突っ込んで熱くなってきている温度の話ですね。
麹が自分からポポポポって温度が高くなってくる。
最初、室に入れた段階では、麦と麹を台の上で混ぜたときの温度なんですよ。
冷え切ってはいない状態なのですが、そこから発酵が進むにつれて麦自体が熱を持つようになって私たちの手の温度より熱くなるのかな、という温度の見極めが必要なんです。
人間で言えば、「ちょっと熱あるね」とか「なんか冷たくなっているじゃん。どうしたの?」とかそんな感じですね。
温かくなってくると、だんだん全体がジョワジョワジョワって、お互いに繋がりながら白っぽくなってくるので、汗かかないように閉めきるのも良くないねって思ってね。
寒い時はその上にほら紙をワーッてかぶせているんだけど、それを取ってあげたり、中の温度を見て、温度が一回上がった後に下げてあげないといけないので、ずっと30度以上保っていると汗かくのが早いんですよ。
だからそれをキープさせてあげる。
――「汗かく」って、麦が汗をかくんですか?
麦が汗をかくんですよ。木の下の方が濡れてきます。
もうひどいときは、じゅっとじゅっとになって水分が多くて麦がゆるゆるになっちゃうから、黄色く柔らかくなってきちゃう。
――大変ですね…。その間、大豆たちはどこに?
塩を混ぜ込んで置いて寝かせている状態です。
塩をまぶしてあるから、そこで塩がジュワーって染み込んでいって、表面にキラキラついてたのがなめらかにジュワーって中に染み込んでいってる。
――麦待ちなんですね。
麦を待ってますよ(笑)
2日目の夕方に麦を見て、これ以上発酵が進んで黄色くなって汗かきすぎるって思ったら、塩を混ぜる。
そうしたらもう発酵が止まるんです。
でも、夕方の段階で「まだだね」って感じの時があるんですよ。やっぱり寒くて。
「明日の朝までゆっくり頑張ってね」みたいなときは閉めてあげて、ちょっと暖房がいるかなっていうときは寒さで夜の間に冷えちゃうこともあるので、そういったときは温度を入れてあげたりしています。
――みそづくりの工程の中で、一番重要な工程は温度管理になるんですか?
温度管理だよね。あとは、塩をかませるタイミング。
どこでストップさせるか、発酵の状態をどこでストップさせるか。
――その見極めってすごく難しそう。
2日目にもう麹が来ていたら、その時点で塩を?
2日目の昼間来ていたとしてもそれを持続させないといけない。
室をワーッと開けて、もろ蓋を全部テーブルに出して全部扇風機で冷まさせて。「はいはい、それじゃダメダメ」って感じで、とにかく温度を落としてあげる。
だから麹が来たとしても昼に塩をかませることはない。絶対、夕方以降。
それまではじわじわって保たないと急激にあまり来てもよくないとお義母さんに言われるから。
――その麹が来るのが重要だと思うんですけど、どんなに熱かろうが一旦は室に入れるんですか?それとも熱すぎるときは入れないで、テーブルの上にもろ蓋を置くんですか?
そんな急激には来ない。最初は肌ぐらいに冷めているから一度全部を室に入れる。
まず麹を混ぜる温度が人肌よりちょっと暑いぐらいだから、その温度じゃ発酵が自分から来ないんです。
発酵には25度以上が必要で、27、8度まで温度が上がっていって、やっと自分で上がろう(熱を発する状態)かなっていう感じになってくる。
昼間に自分たちでどうにか熱を出そうと少しはじわってきたとしても、夜になったら温度も下がっちゃうから無理だねって感じ。
とにかく温度管理が難しかったんですよ。
「お義母さん、どうなんですか」って聞いても「開けとってくいやん(開けといてちょうだい)」って言ってバーって開けてたり。お義母さんは長年の勘で分かってるから。。
――職人さんの感覚ですね。50年前まで焼酎を作られていて、そこから甕を使った味噌づくりをしたということは、少なくとも味噌づくり自体は50年以上前からされてたんですね。
甕を使い始めたのはお義父さんが亡くなったときだけど、お義母さんはその前からぼちぼち作ってて。
いつからとは明確に言えないにしても、作っていたってことですね。
たけのこの加工で工場にボイラーがあったから、味噌づくりの材料を蒸すのは楽じゃないですか。
それで誰かの味噌を頼まれてつくってあげようかっていうのから始まったって聞いてます。
本当にこの環境がマッチしていたんですね。
杉元さんは、11年前に鹿児島に戻ってこられてから5年前にみそづくりをどうして決意されたのですか?
お義母さんがもう高齢になられて、自分では味噌はもう作らないって言われて、その前から手伝いに来るおばちゃんが腰が痛くなって作らなくなってたからもうやめるって言われたんです。
それで、せっかく帰ってきてたから「お義母さん手伝うよ」って。
それで手伝うようになったけど、そのときも継ぐとか思っていなかったです。
だから麹のことも別に真剣に学んでないし、覚えてないし、ただ言われるがままやってるだけで、そのうちお義母さんも歳を取ってきて「材料の仕入れとかもしいくいやん(仕入れとかもしてちょうだい)」って言われて。
いつもの麦の注文の仕方とか、麹とかだんだん私がするようになったらもう3年くらい前だったかな、「もう辞める。もうしがならん(できない)」って言われて。
そのとき初めて「えっ!?この甕このまま放っとくの?」って思って。
でも、毎日ボイラーを動かしてた時代とは違って今の仕事は昔ほど大変じゃないから、これやったら私もできるかなと思って月に1、2回ぐらいだったから、「お義母さん、私しようか」って。
ただ、お義父さん、おじいちゃんの代から焼酎を作っていらっしゃった甕を野ざらしにするのが忍びなくて、それを一番残したい、甕を活用できないかなって。
そしたら、昨年(2022年)に薩摩のさつまの認証を受けるためにセミナーを受講していたら、講師の方と一緒に堀之内力三さんが工場にいらっしゃって、「この甕はもう和甕だから、今はもう日本では作られてないよ」って言われて、「今、甕を手に入れようとしたら中国とかのを輸入するのがほとんどだよ」って言われて。
私も知らないことだけど、そんなことを言われてびっくりで。
なおさら貴重だっていうのが身に染みて、やっぱり大事だよねって。
――もったいないからっていう発想からの、作れば作るほど、いろんな貴重さが出てくるっていうところですよね。
タイミングも本当に嬉しいですよ。
さつま町がそうやって、バックアップしてくださるっていうのが。
作り方にしろ、商売のことにしろ、元々はいわゆるド素人じゃないですか。
商売に関することもただお義母さんのやり方を引き継いでるだけで、こうやってお話聞いてくださるのもあるし、本当に嬉しいですよ。
――事業が広がっていくところを見て、杉元さん自身も今後こうなっていきたいっていうのもお伺いしたいところでありますし、今、薩摩のさつまは次世代支援っていう取り組みもしてる中で、杉元さんが地域に対してでもいいですし、子どもたちに対しても思われてることがあればお伺いしたいです。
何かのきっかけで味噌づくりを始めたわけだけど、お義母さんは地元でほとんど売ってらっしゃったし。
お義母さんとしては、地元のためにって。
お義父さんが亡くなられて、自分で子どもたちを育ててあげていくっていうのもあったから一生懸命頑張られたんだと思うんだけど、それが地域の味噌をちゃんと補充してあげるっていう役目にもなっていたんだと思うんです。
それを私が今、さつま町のブランドとして認証していただいたのは、やっぱり全国に知ってほしいっていうのもあって。
普通味噌はやっぱり地元優先でしっかり食べていただきたいっていうのと、もちろん天塩味噌も地元の人も食べていただきたいんだけど、これをやっぱり皆さんで広げていってくださるということで、少しでも皆さんに、おいしいと思ってもらえる味噌で広がっていけばいいなっていうのが一番かな。
もちろん関東とか関西にもいっぱい鹿児島の方がいらっしゃると思うんだけど、やっぱり地元に昔ながらの味噌がおいしく広まっていけるっていうのが自分としての希望。
やっぱりみんなにおいしいって言って、食べてもらえるのがありがたいっていうのが、作っていく生き甲斐になるっていうのがありますね。
だから、それがやっぱり甕を大事に使っていこうっていう気持ちもなるし、おいしいって言ってもらうのが一番うれしいかな。
安全で安心して食べれるものっていうのでもやっぱり味噌って大事で、発酵食品大事だから、成長期とか、もちろん歳とってからもだけど、安心して口に入れる子どもたちにもそれなりに食べてもらえるっていうのが一番大事かなと思って。
たまたま甕仕込みの焼酎の醸造っていう段階が途中にあるので、それの中で木のもろ蓋、木の蒸し器とか、工場に住んでいる菌とか、そういうのが微妙に加わってこの味噌の味になっているというのはすごいありがたいと思う。
だからよその味噌とは違うと言えるんです。
やっぱり唯一無二と言えるっていうのがすごいありがたくて。
おじいちゃん、ちょっと喜んでてくれるかな。
――杉元さんがみそをいろんな人に知ってもらいたいっていうのは、これまでいろいろ転勤されてて日本のいろんなところに行かれてたこととかも関係してたりするんですか?
ですね。
若い頃はあんまり食に関して、子育てのことで目一杯で、安全なものを子どもたちに食べさせようっていう気はあったんだけど、そこまで突き詰めて求めることはなかったので、地元に帰ってきてやっと目覚めたっていうか。はたからの声を聞くと、こっちが改めて気づかされる。
普通の景色だったことが、こんなにすごいことなんだと思って。
たぶん、お義母さんもそんなにすごいことだと思ってないと思うんですよ。
ただただ道具があるから使ったんだと思う。
だからそれを強調していけるっていうのが嬉しい。
甕も残していきたいっていうのがあるしね。
生き物だから、育てていけるっていうか、タイミング的にこれを持続していけるっていうのが本当にありがたいです。
そういうのに携われるっていうのがやっぱり嬉しい。
本当にタイミングが良かったっていうのもあるかもしれないですけど、ここまでお義母さんが続けてきたからこそできてることで。
本当に本当感謝です。
――本当ですね。私は、杉元さんの想いのつまった日乃出味噌のPRに携わらせていただけてとても嬉しいです。
今日は貴重なお時間を作っていただき、本当にありがとうございました。
こちらこそ、聞いていただいてありがとうございました。
※取材:田口佳那子(さつま町地域プロジェクトディレクター)
撮影:青嵜 直樹(さつま町地域プロジェクトディレクター)
認証品のご紹介
さつま食品『さつま日乃出みそ』
さつま町で50年前まで製造していた芋焼酎「日乃出」。その甕つぼを使い、県産大豆、南九州産裸麦、天塩とこだわった麦味噌の製造を続けてきました。甕に宿る麹と種麹が醸す格別の「さつま日乃出みそ」をお届けします。
一. 50年前に途絶えた「日乃出焼酎」製造時の甕を使い続けて来た事が、現在の甕仕込み麦味噌の源となり、代表者が94歳になるまで造り続けられた事は奇跡です。
二. 甕や工場内に宿る麹が、新しい種麹と合わさり、木製の「せいろ」や「麹蓋(もろぶた)」を使用した手仕事によって、旨みと元気ある麦麹が出来上がっていきます。
三. 地場産大豆、白米の10倍以上と言われる食物繊維を含む裸麦、赤穂の天塩。「ここの味噌でないと…」と言われるリピーターは他とは違ったほっとした味わいを楽しまれています。