伝統と繋がりの結晶『しょうが飴』
はじめに
地域ブランド『薩摩のさつま』の認証品を生み出す作り手の方を訪問し、商品が生まれた背景や風土をお届けするシリーズ。
今回お話を伺ったのは、『しょうが飴』を作る有限会社 山下製菓の山下 翔大さんです。
伝統と繋がりが生み出す結晶。それは飴であっても、人であっても同じなのかもしれません。その輝く一粒に込められた想いとは…。
聞き手:青嵜(以下省略)
――さつま町で飴の製造を営む”有限会社 山下製菓”さんの認証品『しょうが飴』。認証品のお話を伺う前に、まず山下製菓さんの歴史と認証品以外にどのような商品を作られているのか教えていただけますか?
山下 翔大さん(以下省略)
昭和24年に祖父が山下商店っていう名前でからいも(※さつまいも)飴の製造会社として立ち上げたのが始まりです。
創業当初のことを聞いた話では、からいも飴作りやしんこ団子を作っていたようです。お菓子全般というわけではなかったようですが、しんこ団子を焼いて、その隣で飴を並べて売ってたというのも聞くので、飴に限らず色々作っていたんだと思います。
元々は旧鶴田町(さつま町は、宮之城町、鶴田町、薩摩町が合併。そのひとつの町)の紫尾という場所で事業を行っていたみたいなんですけど、昭和53年に今の場所(宮之城屋地)に工場を建てて有限会社 山下製菓っていう名前に変えたようです。
そのときには、すでに製菓といっても飴のみだったようで、からいも飴製造元というのを謳っていたと聞いてます。
ですので、もちろん最初からからいも飴を作っていたのですが、その時から色々な飴にも挑戦してたみたいで、認証品になっているしょうが飴も創業当時の早い段階からあったみたいですね。
――機械も昭和53年頃のものに手を入れながら使われていると聞きました。
その当時から今に至るまで、昔ながらの製法で飴づくりをされているのですね。
そうですね。
特に大手の会社さんみたいに全国津々浦々どこのスーパーさんにでも揃っているような商品となると、昔の製法では多分手に負えないっていうところはあると思います。
やっぱり創業当時の味を大切にしたいっていう想いと、昔ながらというのが皆さんの心に絶対残ると思うので、機械を入れて作業を簡素化したりはせずに、メンテナンスしながら使える限りは使って昔ながらの味を出していきたいと考えています。
――この昔ながらの味は手作りのような優しさを感じます。
全ての工程が手作業という訳ではなく、その一部には機械も導入されていますが、この手作りのような仕上がりはどのようにして生まれるのでしょうか?
今の時代の機械と言うと、機械と人間の比率で言ったら、機械がメインなのに対して人間が補助じゃないですか。
でも、昔の機械ってそれが逆なんですよね。
人間がメインなのに対して、その補助をしてくれるのが機械であって、あくまでも人間の手がないとその機械は何も役立たないっていう。
なので、昔の機械っていうのは、力が必要だったり数量をこなしたりってなってくると、人間の力だけではどうしてもできないのを、じゃあ機械の力を借りようってやっているので、導入している機械は、たぶん皆さんが想像されるような全自動の機械ではなくて、手作りの延長線にある”道具”って捉えてもらえれば分かりやすいのかな、と思っています。
要は機械が補助なのか、人が補助なのかの違いですね。
手作りを大事にしたいんだったら、僕らの機械は補助的な役割なのかなと。
人が補助の立場だったら、どうしても手作りとは言えなくなってしまうと思うので。
――しかも、道具としての機械は、初代からのこだわりとして全てオーダーメイドで作り上げたともお聞きしました。
つまり、飴の形状ひとつとっても、長年の経験と試行錯誤によるものなのですね。
そうなんです。飴の形が決まるカッターひとつ見てもうちのオリジナルなので、口当たりにしてもうちのオリジナルになるっていうことですよね。
私の祖父や父がこだわりを持って作ったので、そういうのを残すために、今ある機械に手を入れながら使っていこうかなって思っています。
――私自身も昔から続く伝統や技術に対して敬意を感じます。
その上で、あえてお聞きしたいのですが、昔ながらの製法を守り続ける理由は何ですか?
正直なところ、誰でも作れるようにしてしまえば簡単なんですけど、その日の気温だとか、細かい変化には対応できないんですよね。
冬には冬のおいしい硬さ、夏には夏のおいしい硬さがあって、それを考えながら2、3日後にお客さんの手元に渡るという前提で作っていくんです。
ですから、逆に言えば夏場に冬の飴の作り方で作ってしまうと柔らかすぎて、どんどん形が変形しちゃうんです。
当然、口に入れた時の食感だったりが違えば、味わいにも影響しますし、昔から好んで食べていただいている方ほど、あれ?ここの飴ってこんなんだったっけ?ってなってしまいますよね。
なので、そのときの気候によって美味しい状態のものを食べてほしいので、そこは簡素化したらダメな部分なんです。
見た目は一緒だとしても、口に入れると全然違うものになってしまうんです。
そういった技術をとおして先代が築き上げてきた味なので、そこはしっかりと自分も引き継いでいければなと思って、昔ながらの作り方にこだわっています。
――失礼ですが「飴」という単語から連想すると、いつ食べても変わらないお菓子のような印象を受けていました。ソフトタイプの飴であることもその理由だと思うのですが、食べごろがあるのですね。
季節に合わせた美味しさっていうのがあるんです。
やっぱり夏場に美味しく感じられるようにと思って作った飴と、冬場に美味しく感じられるように作った飴とだと違うんですよね。
夏場は気温が高い分だけどうしても溶けやすいので硬めに作るんですけど、その飴を冬場に出してしまうと硬すぎるように感じてしまうんですよ。
逆に冬場は気温が低い分だけ溶けにくいので柔らかめに作るんですけど、これを夏場に出してしまうと気温で溶けて変形しちゃうんです。
ですから、ご注文をいただいてから製造するっていう受注生産方式を取り入れているので、基本的には、時期にそぐわない在庫になるような作り置きはしてないんです。
あくまでもご注文いただいてから発送できる時期を見越して、1番おすすめの状態でお客様のお手元に届けられるような作り方を心がけるようにはしてますね。
――その上で、認証品のしょうが飴についてお聞きします。
創業から比較的早い段階で作り始めていらっしゃったと伺いましたが、ソフトタイプの飴も4種類(からいも飴、しょうが飴、あんこ飴、さくさく黒糖飴)がある中で、しょうが飴を認証品の候補に出された理由を教えていただけますか?
薩摩のさつまだから、特にさつま町に関わりあるものを最初の認証品にしようと思ったときに、からいも飴の芋は鹿児島県産なんですけど、さつま町産ではないのです。
ただ、しょうが飴の生姜は自分たちが有機栽培で作っているので、これは自信を持ってさつま町産の生姜を使ってますって言える商品だなと。
それと、うちの生姜飴は生姜パウダーとかではなくて添加物を使わずに生の生姜をすり下ろして作っているので、生姜の風味がしっかりとしていて美味しいっていうお客様の声もいただいていたこともあって、自信持っておすすめできる逸品という意味でも最初の認証品にしょうが飴をあげさせていただきました。
――一粒いただきましたが、しっかりとした生姜の味わいと甘さが絶妙ですね。
原材料にも書いてあるんですけど、砂糖ではなく黒糖を使うことで、生姜のしっかりとした旨味とコクのある甘みを引き出すことができていると思います。
このレシピは私の祖父が作ったもので、配合とかも含めて長年の研究の結果、行き着いたんです。
だからかもしれませんが、よく懐かしい味って言われますね。
――しかも、有機栽培の生姜という点でも、健康志向の方にもおすすめの逸品に思いますが、それを携帯しやすい”飴”という素朴な品物なのが個人的には特にいいなと感じます。
たぶん飴って脇役的な存在だと思うんです。
生きていく上で、別にあってもなくてもどちらでもいい存在のちっちゃなものではあると思うんです。
でも、この一粒にこれだけの想いが詰まってて、こんな人が、こんな気持ちで作っているんだ、っていうのをお客さまに伝えることができれば、一粒だったとしても、たぶん一生に1度でも食べてよかったね、と思っていただける商品になるんじゃないかな、そうなってほしいな、って思っています。
――まさに、これまでの歴史と想いが詰まった一粒ですね。
歴史に関してお話を伺いましたが、これからの未来についても少しお聞きしたいと思います。
薩摩のさつまには、次世代の支援といった未来へ向けた取り組みも含まれています。
その”未来”という今後に対して、この地域ブランドを通して、さつま町や子どもたちがどうなってほしいといった想いはありますか?
僕は元々、全国転勤の会社に勤めてたんですけど、そこを辞めて故郷のさつま町にUターンしてきたんです。
さつま町が好きだから帰ってきたっていうのがあったのですが、帰ってきて思うのがやっぱり若者が少ないっていうのがすごい残念な状況かなって思っています。
だから、自分がこの町で事業をしていくことで、町に困ったことがあれば手助けできればいいかなと思います。
あとは、子どもたちにさつま町ってこうなんだ、うちの町ってこんなもの作ってんだよ、って胸張って言えるようになってほしいって思っています。
僕が子供の頃は、うちってこんなん作ってんだぜ、とかこんなのあるんだよっていうのを他のところに知ってもらいたいみたいな気持ちがある人間だったんです。
でも、それって町に対するひとつの誇りなのかなと思っていて。
隣の薩摩川内市が合併(2004年に川内市と周辺の8町村が合併し、薩摩川内市となる)した時に、さつま町は合併しなかった。
それが良かったのか悪かったのかっていう話じゃなくて、それを良くしていくために、町をどうやって盛り上げていくのかって言ったら、やっぱり多くの子育て世代にさつま町に住んでもらいたいし、今いる子どもたちに誇りを持って欲しいと思っています。
ただ、さつま町にずっと残らなくてもいいと思うんですよ。やりたいこともあるだろうし。
でも、やっぱり自分の地元は忘れないでほしい。
で、どうやったら忘れないのかっていうと、何かしら強い刺激があれば忘れないんだろうなと。
例えば、この町ってこういう食べ物あったよねとかっていう思い出って、強いと思うんですよね。
それこそ、例えばですけど、東京とかに行ってるときに薩摩のさつまを知ることで「お、懐かしいこれ」とか「あ、これ、こっちで買えるんだ」って気が付いてもらえれば、そこにいる周りの人たちに「俺の地元なんです」とか「作ってるの先輩なんですよね」とかを胸張って言えるし、自分も言えるような大人になりたいなって思っています。
そういう大それたことはたぶん自分1人じゃできないのかもしれないけど、それでもやっぱり子ども達には、さつま町で生まれ育ってよかったなって思ってもらいたい。
で、あわよくばそのまま帰ってきてもらいたい。
帰ってきてさつま町をみんなで一緒に盛り上げようよっていうことができれば、将来的に1番いいなって思います。
――思い出の影響は大きいですよね。
決して派手である必要はないと思うのですが、心に残るものというか。
その上でお聞きしたいのですが、山下さんご自身も一度町外へ出られてからUターンで戻って来たと伺いました。
山下さんにとって、心に残る故郷の思い出は何だったのですか?
あのー…町の人たちがですね。
自分の子供ではないのに、自分の子供のように接してくれる。
世話してくれるっていう方々が多くて、ちょっと町で会えば「おお!元気しちょったかー!?」って声かけてくれたりとか。
4、5年ぶりに会ったような人でも、「久しぶり!」とか町なかで声をかけてもらったりとかっていうのが、この町のすごい面白くて独特なところなのかなっていうのがあって。
やっぱり好きなとこって言ったら、そういうところになるのかなと思いますね。
――家族や血縁がなくても、地域に人の輪があったということですね。
人の繋がりで言えば、さつま町ってすごい強いと思いますよ。
転勤で色々なところに住んできましたけど、ここまで地元地元してるところもなかなかないかなと。
でもそれって、僕らの世代より年齢が若い世代にはあまりないんですよね。
僕らより年齢が上の世代の人たちはすごくその気持ちがあるんですけど、一方で、若い世代の考えが違うからその繋がりがなくなりつつあって、多分上の世代の人たちはすごいもどかしさがあるのに対して、若い世代の方はその繋がりを重く感じてしまって町を出ていこうっていう。
なんか、すごい微妙な空気感があるのかなと。
だから、その空気を取っ払ってあげるだけで全然違うのかなとは思うんですけど、なかなかそれが今ないなと思いながらですね。。。
――世代を越えて価値観を共有するのは中々難しいですよね。
押し付けても良くない、かといって意見交換しようにも、そもそも意見が言い出しにくい雰囲気では意見すら出ない。。
確かに、上の世代の方々がおっしゃる意見もわかります。
だけど、若い世代の気持ちもわかる。
別に僕はどちらを説得しようという気もなくて、説得するんじゃなくて、説得しなくてもああだよね、こうだよねって言える環境を作っちゃえばいいんだと思います。
そのひとつが薩摩のさつまなのかなと。
薩摩のさつまには、世代を越えて沢山のひとが集まっているじゃないですか。
最年長の方と最年少の方とで、年齢差はたぶん60歳くらい離れてるわけですよ。
その人たちが集まる場所が、世代を越えた地域のブランドっていうところになってくるんだったら全然ありだなと思っていて。
だから、その1人1人を説得するなんてできない話なんだけども、それを1人1人が説得じゃなくて、議論や意見交換をして、みんなが納得できる共通のものを作って、発信しちゃえばいいのかなって思っています。
――本当にそうですね。
しかも、個人的にも薩摩のさつまの良いところは、地域プロジェクトとして人と人とが交わる結節点でありながらも、それ以前に、地域ブランドの商品として「稼ぐ」という目標が明確なところだと思っています。
この目標がなく、地域プロジェクトとして漠然と「地域のことを良くしたいから集まりましょう」では、物事が育たないと思っています。
ですから、稼ぐという目標を持ちつつも、地域プロジェクトとして、そこに集う方々自身が議論や意見交換を行う”共創の場”になれるとより良いですね。
今はたぶん、子供たちにはまだ「薩摩のさつまって何?」みたいなのが当たり前かもしれないけど、小学校卒業するときには、さつま町の地域ブランドですって、みんなが言えるようになったらすごいなと。
そのためには、自分たちもやっぱり商品に対して手は抜けないし、まあ当たり前のことをするだけなんですけど、でもその当たり前を怠らないようにはしていかないといけないなと思っています。
それが、ただ自分たちができることじゃないのかなと思うので、それをやっていくだけかな、と思いますけど。
――そこが原点であり、かつみんなが集まれる大きな力の源ですね。
今日は貴重なお話をありがとうございました。
ありがとうございました。
※取材/撮影:青嵜 直樹(さつま町地域プロジェクトディレクター)
認証品のご紹介
有限会社 山下製菓『しょうが飴』
このしょうが飴は、生の国産しょうがをふんだんに練り込み、添加物不使用で、しょうが本来の旨味を味わえる一品です。70余年に渡る昔ながらの手作りだからこそ、いつ食べても満足していただける飴となっております。
一.国産無農薬のしょうがは、自社職人が製造の合間を縫って育てています。自家製のしょうがをふんだんに使用することで他社製品に負けない強い風味を醸し出します。
二.国産・国内製造の原料に拘り、その日、その時、その季節に応じて加熱温度を調節し、いつ食べても最高に美味しい状態で食していただける様に製造しております。
三.1袋1袋手作業で梱包作業を行っております。お客様に安心・安全な商品を食していただける様、出荷前点検は目視点検によってしっかりと確認を行なっております。
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