活字に込める記憶と誇り「宮之城文化」

宮之城文化懇談会 松木囿 一喜さん

地域ブランド『薩摩のさつま』の認証品を生み出す作り手の方を訪問し、商品が生まれた背景や風土をお届けするシリーズ。
今回お話を伺ったのは、さつま町のその時々の時代を映す『宮之城文化』を編集する宮之城文化懇談会 松木囿 一喜さんです。

そこに生きた人々の記憶や想いを「本(活字)」という形にこだわり、今もなおアップデートしながらさつま町で愛され続けている『宮之城文化』。
(宮之城は、平成17年に「さつま町」として合併する前の旧3町(宮之城町、鶴田町、薩摩町)の一つです。)

約40年前、地元の若者たちが熱く議論を交わしたことから始まった本を受け継ぎ、未来へ繋ごうとするその背景や想いとは・・・・。


聞き手:田口(以下省略)
――認証品「宮之城文化」のお話の前に、まずは、宮之城文化懇談会の歴史からお伺いさせてください。はじまりはいつ頃だったのでしょうか?

発足したのは昭和63年です。
平成元年が満1歳なので、平成の歩みとずっと一緒でした。
38年前からありますね。

宮之城文化懇談会のはじまりはどういったメンバー構成だったのですか?

宮之城文化懇談会は歴史が長いのですが、当時うかり眼科(現在の『あかり眼科クリニック』)の院長で、美術や文化面への理解も深い3代目文化協会会長の鵜狩淳一さんを中心に、眼医者さんの2階で、まちの若い人が集まって、いろんな人同士で文化論を交わしていたと聞いています。それが、2、3年程続いて、昭和63年に「文化懇談会という会を作ろうじゃないか」ということで文化協会とは一線を画した宮之城文化懇談会が始まったらしいんですよ。

宮之城文化懇談会の初代会長で、平成22年までさつま町の文化協会会長をされていた小辻さんが、文化って幅広いから、芸能とかだけじゃなく、地域の文化や歴史、芸術を幅広く取り上げて、地域の文化を示したんじゃないかなと。

活動の中で「文化ってそれだけじゃないよ。こういう面も重要だよ」っていうのを示したかったのかなと思うんですよね。それで宮之城文化懇談会が始まって2年か3年近く経って創刊号を作ったらしいんです。

約35年前につくられた創刊号(1号)の中に「新しいまちづくり、新しい文化の創造を目指すために、過去の古いことを無視するやり方は良くないと、やっぱりそこが繋がってるからそこを自分たちのまちの文化であると言えるんじゃないか」ということが書かれているのに驚きました。いわゆるアートだけじゃなくて、伝統文化とか歴史文化にも結構触れていたんですね。

最初は手探りみたいなところがあったと思うんですよ。

松木囿さんはいつ頃から携わり始めたのですか?

私は、14号から宮之城文化懇談会に携わっています。
平成28年ぐらいからなので、10年目ぐらい編集長をしていますね。

その役割を引き受けることになったきっかけは何だったのでしょうか?

編集長になる前は、会社に所属してコンピューターを使ったシステム作りや、プログラミングをしたりとSE的なことをしていたのですが、ずっと歴史に興味があって、若いころから歴史書なども読んだりしていました。

若いころに時吉(さつま町内の地区名)郷土誌を4人で作ったんですよ。
その内2人が、宮之城文化懇談会の会員だったのです。
そこで私も会員に誘われたのですが、私にとっては「宮之城文化懇談会」という名前が大層な名前のものに感じて一度は断ったんですよね。ただ、歴史関係もいろいろ書いてあって発表の場があるのでやってみようと思いました。

そうだったんですね。本の編集は容易にできるものではないと思うのですが、それまで郷土史や文芸誌などを読んだり、編集に携わったことがあったのですか?

全然なかったですね。
会社では、ビジネス文書はごまんと作っていましたが、文学的なこととかは書いたり読んだりしたことがなかったですし、編集にも携わった経験はなかったですね。

役目上、年齢的にもその当時私が一番若くて、いろいろ任されたんですよ。
会計だとか、事業をやる時のいろいろなことを。

そのうち14号は私の先輩の方が編集委員長で作って、私がそれ見て校正とかするじゃないですか。
最初の校正はその方がされて、原稿用紙に赤ペンをバーンと入れたんですよね。
教えてくれるわけじゃないけど、言わず語らずして教えてくださって、こんな風にするんだと学びました。そしたら、次から私がやるはめになっちゃった。(笑)

背中で魅せてくださった先輩からの愛の鞭が、今の編集長としての第一歩だったのですね。そこから10年近く続けられているわけですが、これまでの歴代編集長はどのような移り変わりがあったのですか?

結構変わっていて、大体2、3冊で編集長が変わってるんですよ。
私は15号、16号、18号、次の19号で4つ目です。

歴代の編集長の中でも、松木囿さんはとても長くされていらっしゃいますね。

高齢化でやる人がいないんですよ。

時代とともに引き継がれていったのですね。
主に執筆するのは編集長と会員さんなのでしょうか?

会員さんにもお願いしますが、会員さんではない人にも声をかけて書いてもらったりしますね。

会員さんは実際に、松木囿さんがお声をかけて集まるのですか?

直接お声がけさせていただく人もいますが、何かの拍子に知り合いになって、宮之城文化懇談会に入ってくれないかと誘った人もいますよ。
ホームページや本でも「会員募集」を対外的に打ち出しています。
意外な所から投稿して下さる方もいらっしゃいます。『宮之城文化』誌は地域の総合誌なので、外部の方々からの意見や評価があることは嬉しいことです。

会員数は、私が入った時は30人くらいで、最盛期で40人はいました。
それから高齢化やコロナ渦の影響もあり、その頃から今30人程になりましたね。
私はいわゆる市民ライターではないですけど、町民ライターのみなさんでそれぞれお願い事を沿ったテーマで寄稿してくださって、その集まったもので文化が醸し出されているのだと思っています。

30人もの町民ライターのみなさんが、それぞれのテーマでふるさとを切り取っているのですね。これだけ大勢の人が捉えた、その時代のさつま町にまつわる文化や歴史話とかが集まっていると、単純なるデータの記録ではない、いわゆる歴史書みたいにも感じますね。

次号(19号)は、昭和100年の節目だったので、それに合わせて特集を組もうと思いました。
2年に1回の発行で、その時の時事に関わる内容で特集を組んでいます。

特集の内容は、検討会議で決めるんですか?

そうですね。
文化懇談会の会員がおおよそ30人いる中から、その中でもコアとなっている、6~8人のさつま町出身のメンバーで、まちを盛り上げようとか、主張したいな、というような人が集まって話し合っています。

今編集中の19号は、特集を2つ組んでいるんです。
特集の一つはある人を特集しているのですが、その方の親族だったり、何かしらの付き合いがある方6、7人にそれぞれ知っていることを書いていただきました。

すごく面白いなと思いながら伺っていたんですけど、一人の地元の著名な方を特集しようとすると、誰か特定の人にお願いをして、その人が調べたものを載せたりとかすることはあると思うのですが、複数人に執筆をお願いするのがとても特徴的で素敵だなと。

その人の小学時代とか大学時代って、それぞれの人間関係とかがあるわけですよね。ですから、親族や友人の方など、さまざまな人に書いてもらって、その人の多面的なところを映したいんです。そういうところを描けたら一番いいなと思っています。

多面的な人間模様を描く、まさに「宮之城文化」だからこそできる贅沢な特集ですね。そうして人の温もりをじっくり編み込む作業をお聞きしていると、ふと疑問に思うことがあります。
今の時代、デジタルの方が手軽に情報を残せる面もあると思うのですが、あえて『本』という形にこだわられたのはなぜですか?

今の時代、SNSとかビジュアルで魅せる世の中じゃないですか。
手っ取り早いし、わかりやすいし、動画があれば、パッと見てわかるじゃないですか。でもやっぱり、活字文化っていうのもなくなっちゃいけないし、何かを伝える文化の基礎には活字があるのかなと。こういう活字文化も大事だよねと。

宮之城文化懇談会は、発足してからその歴史がほぼ40年ということで、世の中も変わってきている中で、その時代時代の、目撃者というか証言者というような人とか、その時代に言えなかったこととか考えていたようなこととか、風景の写真とか、そういうものを残していけたらいいのかなと。

「歴史の鏡だな」というふうに言った人もいるけど、確かにそういう面もあるなと思っています。

まさにその時の声が詰まった「歴史の鏡」ですね。ただ、その貴重な記録も、若い世代に読んでもらえなければもったいないですよね。誌面を見ると、歴史を扱いつつも、どこかキャッチーで読みやすい工夫がされているように感じます。

そうですね。
今はできるだけ写真とか、漫画じゃないけどいろんなイラストだとか、そういうのを取り入れるようにしています。
今は余白を大事にしたデザインも多くて、いろんな絵も入れています。
ビジュアル的にも惹かれる内容にしたいという想いがあってですね。
まず、見やすくしよう、わかりやすくしようというのが前提で、字をみっちり書いたら読みづらいから、そうならないように気をつけています。

タイトルは特に、ぐっと心に突き刺さるような、週刊誌なんかの見出しのキャッチコピーみたいに大事にして、惹きつけられるような言葉づくりも大切にしています。
それと、本を見やすくするためにも「ふるさと賛歌」という面白みのあるページを作っています。誇りのあるふるさとをやっぱり大事にしましょうよ、と。
こういう面白みもあったらいいなと思い、取り入れました。

絵は、写真から絵に起こすものもあります。
14号以降出てくる写真もほとんど私が撮りました。

少し言い回しを変えた方がいいと思う文章に関しては、寄稿してくださった本人に、「こういう言い方もありますよね。」というやり取りをするんですよ。それで納得してもらったら変えることもありますね。
本人さんの意図を変えることはできませんから。

文章だけじゃなくビジュアル面の工夫や、キャッチコピー、寄稿者さんとの細やかなやり取りまで、すべては「ふるさとを大事にしたい」という想いに繋がっているのですね。その想いがあったからこそ、「宮之城文化(18号)」は、さつま町の地域ブランド「薩摩のさつま」の認証を目指そうと思われたのでしょうか。

これはですね、
堀之内力三くん(薩摩のさつまの幹事長)や市囿庄一くん(幹事)が発起人メンバーである、「薩摩のさつま」の地域ブランドが、今、結構町内でも大きなムーブメントになって、賛同する人が増えたり、地域が盛り上がっているじゃないですか。
これもやっぱりさつま町の誇りであると思うんです。
さつま町に自信を持ってもらうような活動だと思いますし、しかも若者たちが発起人なわけですよね。

人口が2万人から1万9,000人、1万8,000人と、だんだん減っている中で、そう、一つのムーブメントを起こしたわけだから、それに私は感動しましたね。

私も76歳で、我々の年代でできることっていうのは限られていているのですが、私たちができることとしたら、郷土史っていうものをやっぱりみなさんが知ってもらって、ふるさとに誇りを持ってもらうという、そういう取り組みができたらと思います。
一番の狙いはそこに集約されると思うんです。

みなさん方がやっている活動(地域おこし協力隊)もそうじゃないですか。
ふるさとの盛り上げですよね。
ふるさとに対する想いを持って活動している私たちが、薩摩のさつまに入るのもいいなと思って入りました。ここで知り合いになった想いを持った方に、何か寄稿していただいてもいいのかなと思っています。

18号を認証品にしようと思われたのは、タイミングが合ったからだったのですか?

そう。タイミング的に18号だったんですよ。
薩摩のさつまとふるさと納税も18号から始まりました。

薩摩のさつまへの仲間入りとふるさと納税のスタートが重なり、18号はまさに記念号的な一冊になったのですね。これだけ新しい風が吹いている今だからこそ、これからの「宮之城文化」をどう続けていくか、未来の展望や課題についてもぜひ伺いたいです

宮之城文化懇談会としては、新しい人に入ってもらいたいなと思っています。

「この人に入ってほしいな」「この人なら何かやってくれそうだな」という人に、これまでの伝統ややり方全てに捉われるのではなく、変えていきながらその人の持っているものを出していってほしいなと思っています。自分の可能性を出してくれればいいと思うんですよね。

そして、宮之城文化(冊子)を、もっともっと、ずっと続けていきたいと思っています。

ただ、これだけの本を作るには、執筆や編集だけでなく、かなり大きなエネルギーが必要なんですよ。例えば、今作の経済面を支えてくださっている約70社の協賛企業一社一社のもとへ、私たちが手分けして直接ご協力をお願いしています。
簡単なことではありませんが、このまちの歴史を未来へ繋ぐ価値があると思っています。

みなさんの情熱とエネルギーには本当に頭が下がります。

そこまでして紡がれた一冊だからこそ、読者にもその熱量が伝わるのですね。私も実際に拝見して、多くのまちの方々の想いや記憶に触れて、とてもわくわくしてしまいました。それほど充実した内容だと感じているのですが、やはり発行した後の読者のみなさんからの反響も大きいのではないでしょうか?

ありますね。
発行した後とかは、特にみなさんの反響とかを聞くんですよ。インターネットを通じてもお声が来るんですよ。
買った人とかは、褒めたり、称賛したりしてくれる人もいるんですよ。

そういう人がずっと多いんですけど、たまには、厳しい意見を言う人もいてくれて、そういうのを言ってくれるのは非常にありがたくて、そういう風に言ってくれる人が非常に熟読してくれてるように感じますね。

熟読してくれているからこその厳しい意見、それを受け止める松木囿さんの姿勢に、本が愛される理由があるのだと思います。薩摩のさつまもまた、読者のみなさんと共にこのまちの未来を、次世代へ繋ぐ活動を大切にしています。松木囿さんは、この『宮之城文化』を次の世代へどう残したいか、また、さつま町の未来をどう見つめていらっしゃいますか。

若い人たちが離れていくということを考えると、一番効果的なものは例えば働き場なのかなと。いろいろ不景気な中で、魅力のあるまちってどういうまちなんだろうというのを考えたときにですね。
例えば「文化のまち」とか「面白いまち」、そういうのないじゃないですか。

ここにはスポーツが得意な人、音楽が得意な人、絵が得意な人もいるんだけど、まとまりとして、「文化のまち」とか「面白いまち」とか、そういう括りでまちづくりをしているわけではない。
イベントも多いわけじゃないかもしれないけど、年を取ってくると、やっぱりふるさとが恋しくなってくるんですよね。

一度まちを出た人も、ふるさとに対しての想いがあると思うんです。
そういう人を含めてまちの好きなところ、いいところをいろいろ発信していくということが大事だと思いますね。

いろんなことも言い方次第で、ちょっと変わったり、希望が持てたりするので、まちの魅力をどう発信していくか、伝え方次第でもあると思います。
具体的にどうこうっていうのはなかなかね。難しくてできないんですけどね。

その魅力発信の一端を担っているのが、宮之城文化だと思います。

年を取るほど、できることは限られてくるのですが、みなさん方を応援することはできます。ただ、グラウンドに出て応援することができないから、スタンドから旗振るとか、そういうことになってくると思っています。

最後になりますが、宮之城文化の文中に、「この町の知られざる魅力を発掘し価値を高める、広める」っていう一文があったのですが、全巻通してその想いを元に制作されていらっしゃるのですか?

そうですね。
宮之城文化をつくる、きっかけっていうか、根底にある想いはそれと一緒なんですよ。

やはり薩摩のさつまに共通するものが多いですよね。

やり方がちょっと違うだけで、向いている方向は一緒だからね。

本当に心強い存在です。
これからもぜひ一緒によろしくお願いいたします。

こちらこそ。

最後に、認証品にも登録されている18号の巻頭から、松木囿さん執筆の一節を引用してお届けします。

地方の文化と歴史は、私たちの誇りであり宝です。そして道しるべでもあります。過去の遺産を単に偲ぶだけではなく、学び、未来へ繋ぐことが重要です。特にその「繋ぎ方」が鍵となります。必要なものは、まさしくどのように生かすか、表現・伝達力だと思います。

最近、「薩摩のさつま」という「町のALLさつま」と言える活性化活動に賛同し、当会もその一員となりました。若者たちの熱い思いが、この町に新たな風を吹き込み、活気あふれる未来を切り開こうとしています。

 『宮之城文化』も「薩摩のさつま」の地域ブランド商品となり、若い方々との連携、情報交換を通じて、私たちは若い感性・発想・元気をもらえると期待しています。

――『宮之城文化』巻頭文 より

薩摩のさつまロゴ認証品のご紹介

宮之城文化

宮之城文化

『宮之城文化』誌は、ふるさとの温かい思い出や懐かしい時代の宝庫。自然や人々の暮らしが育んだ文化や歴史を知ることが出来ます。この町で生まれた方は、故郷をもっと好きになり、誇りに思う気持ちが湧いてきます。

一.ふるさと生まれの本誌を紐解くと、あなたを笑顔にし、心が落ち着きます。 物語の優しさ、逞しさ、力強さはあなたを強くし、勇気を与え応援してくれるでしょう。

二.喜びや悲しみ、悩みを繰り返す今の私たち、心に刻まれた想いを言葉にして残しませんか?それは貴方だけの物語として、世代を超えた「生きた証」となるでしょう。

三.故郷は遠きにありて思うもの!私たちや祖先が生きた郷土、その歴史・習俗・遊び、集落や町の風景などをお伝えします。貴方に郷愁や愛着を感じてもらえたら幸いです。

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